本日の聖書 ヨハネによる福音書12章3〜6節
マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。
弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」
彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。
宣教題 「ユダの能力を狙う悪魔」 牧師 新保雅雄
今朝は「ユダの裏切り」から学びます。主イエスは、十二使徒の一人としてユダを選んだ。彼を愛していたからです。そして大きな信頼も寄せていた。それゆえ群れのお金をすべて預けて任せていた。しかし、彼は、群れと主イエスを裏切ることになる。
彼は、その信頼を悪魔に狙われた。悪魔の誘惑は、わたし達の弱いところを狙ってくるように思う。しかし、必ずしもそうではないことが分かる。このユダのように、金庫をまかされるほどの信頼という能力を狙われたのです。
会社を経営することにたけている人を悪魔は狙います。立ち上げたときは社員のため、社会のため、そう思い社員に感謝して仕事をする。しかし経営がうまくいき、さすがといわれていくうちに、「会社は自分のもの、私が大きくした、自分の私の俺の・・」に変わっていく。群れのものが自分のものへ、ユダと同じ「盗人」の罪を犯していく。悪魔が彼の能力を狙い誘惑していく。
わたし達の能力(賜物)成功は、決して自分のものではなく、神からいただいた賜物だとするなら、自分自身を自慢する、うぬぼれる、そして自分を誇ることは、なくなるのではないだろうか。成功すればするほど、主に感謝する謙虚な心が求められている。
「信仰は感謝で始まり感謝で終わる」世の全ての物(恵み)は、神の創造物であり、私達人間は、その恵みの管理者なのだ。そして私たち自身も神の創造物にすぎない。決して創造者ではない。
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