本日の聖書 ルカによる福音書24章30〜32節
一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンをとり、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。「二人は『道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか』と語り合った」
宣教題「御言葉が十字架と共に」 牧師 新保雅雄
主イエスが十字架につけられた三日後の日曜日 、二人の弟子がエルサレムからエマオへ向かって歩きながら、主イエスの十字架と復活について熱く語り合っていました。
そこに主イエスが近付いて来て一緒に歩かれたのです。しかし、二人の弟子達には、その方が主イエスだと気づかなかったのです。
エオマの近くまで来ましたが、夕方になり日が沈みかけてきたので、彼らは主イエスを引き止め、一緒に泊まることにしたのです。
その夕食の席で主イエスは、パンを取り、讃美の祈りを唱え、パンを裂いて、この二人の弟子達に、お渡しになりました。
その瞬間、二人の弟子たちは目が開き、その人が主イエスだと分かったのです。そしてエマオに向かう道中で、主イエスと語り合った時、自分たちの心が燃えていたことを思い起こしました。
エオマへ向かうとは、人生の旅路を意味します。主イエスは、あなたの人生の旅路を、あなたと共に歩み、聖書を説き明かして下さる。
いま私たちは、主イエスを見ることはできません。しかし、聖書を読む時、礼拝の時、祈りの時、そして聖餐式によって、生きた信仰になり、人生の指針になるのです。主、我と共にあり。
主イエスは、あなたと共に、あなたの人生を歩んでおられます。次週は聖餐です。主イエスは、あなたの心の目が開くのを待っておられます。心から祈って求めて下さい。主イエスの御声があなたの心に響くでしょう。
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