2021年11月7日 「苦難の身代わりの主」

投稿日時 2021-11-07 06:32:35 | カテゴリ: 礼拝説教要旨

 本日の聖書  マタイによる福音書817


「彼は わたしたちの患(わずら)いを負い、わたしたちの病を担った」


宣教題「苦難の身代わりの主」   牧師 新保雅雄


主イエスが、ペトロの家に行った時のことです。ペトロの、しゅうとめが、熱を出して寝込んでいました。主イエスは、しゅうとめの手に触れられると、熱が去って、起き上がることが出来るようになり、しゅうとめは、主イエス達一行をもてなし始めたのです。


その日の夕方、うわさを聞きつけた人々が、悪霊に取りつかれた人を大勢、主イエスのもとに連れて来た。主イエスは、姑をいやしたと同じく言葉で悪霊を追い出し、病人を皆癒されました。悪霊は、私たちを神から引き離そうといつも狙っています。


病気が全て、悪霊に因るのではありませんが、悪霊に対して、無頓着であってはなりません。目には見えなくとも、確かに存在するからです。  


この悪霊の力は、手を変え、品を変え、神から、私たちを引き離そうとします。また、祈ることを止めさせ、教会や信仰を批判し、神の力を否定する、そして礼拝から遠ざけ肉の思いを助長させるのです。


主イエスの病人への癒し、一見、ご自身は、いささかも傷付くことなく、痛むこともなく、悪霊を追い出し人を癒す神の子、救い主イエス・キリストの姿が示されているように思われます。


しかし、マタイは、苦難の僕として、人を救う主イエスの姿をイザヤ書から引用して明らかにしています。それは、「わたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った」主イエスの姿です。


実に、主イエスは、人の病、患い、痛みを、自らの身に引き受けてくださいました。自らが代わりに、その痛みを引き受けてくださることで人を癒されるのです。今病の中に苦しむ人の苦しみは、主イエスはご存じである。身に引き受けられたからです。


ここに、神の愛があります。それは十字架による身代わりの死で示された愛です。






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