本日の聖書 マタイによる福音書7章21節
「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。」
宣教題「主の御心、愛に生きる」 牧師 新保雅雄
主イエスを救い主として信じ教えを守ったとしても、必ずしも全員が天の国に入ることが出来るのでは無い、「神の御心を行う者だけが天の国に入るのだ。」と主イエスは言われます。
(22節)「かの日」すなわち終わりの日、裁きの時、世の人生が終わるとき。主イエスによって一人一人が、天の国に入ることが出来るかどうか、最終的に選別されます。
この時、大勢のクリスチャンがが、主イエスに向かって「主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか。」
こうして、彼らは、自分たちの信仰生活における実績を持ち出して、天の国へ入る権利を訴えます。
しかし主イエスは、「あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ」と言われます。
何故、彼らは、これほどまでに厳しく言われなければ、ならないのでしょうか? それは、彼らが天の父の「御心を行わなかった」からです。いくら実績を積み上げても、神の御心とは、異なることをしていたのです。世の自分の思いに従って行動していたのです。
残念ながら、クリスチャンとはこうあるべきだ。という、愛よりも出来るか出来ないかを問うクリスチャンが実に多い。
では天の父の御心とは何でしょうか?それは、「隣人への愛」です。
「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である」(7:12)これは、「自分自身のように隣人を愛しなさい」ということです。
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