本日の聖書 マタイによる福音書12章34節
「人の口からは、心にあふれていることが出て来るのである。」
宣教題「言葉は心を現す」 牧師 新保雅雄
主イエスは、悪霊に取りつかれて目が見えず、口の利けない人を癒されました。しかしファリサイ派の人々は、その癒された出来事を、主イエスが悪魔の仲間であるかのように騒ぎ立てました。
なぜファリサイ派の人々は、ハンディを持った人が癒されたのに、それを素直に認めることは出来ないのでしょうか。主イエスが、どんなにいい奇跡を起したとしても、あらを見つけようとするでしょう。なぜならファリサイ派の人々の心には、主イエスに対する殺意があったからです。心の中にあるのもが言葉となって口から出たのです。
主イエスは、いわれました。「木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木の良し悪しは、その結ぶ実で分かる」と言われたのです。木というのは、心のことであり、実というのは、口から出る言葉のことを表しています。
つまり、「心が良ければ、その口から出て来る言葉も良いし、心が悪ければ、その口から出て来る言葉も悪い。心の良し悪しは、その語る言葉で分かる。」と言われているのです。
果たして、私たちの心には、何があるのでしょうか。「喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和 」な心でしょうか。(ガラテヤ5:22)それとも、「敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ」な心でしょうか。(同5:20)
「あなたは、自分の言葉によって義とされ、また、自分の言葉によって罪ある者とされる」改めて、言葉の重みを考えさせられます。言葉をいくら着飾ったとしても、メッキはすぐ剥げてきます。まず自身の心を神に開くことです。そして内から変えていただくことです。
心が美しいならば、目で見える外側も魅力ある人になるでしょう。そのためには、神へ心を開いてください。開くとは、本当のあなたを正直に告白することです。
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