本日の聖書 ルカによる福音書1章13、18節
「天使は言った。『あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリザベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。』 そこでザカリアは天使に言った。『何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています」
宣教題「主を待つ準備」 牧師 新保雅雄
天使は、ザカリアの妻エリサベトが男の子を産むこと、その名をヨハネと名付けるようにと告げました。ザカリアとエリサベトの夫婦は、既に二人とも年をとっていましたから、もう、自分たちの間には、子どもが生まれないだろうと、考えていたのです。
天使の突然の知らせを聞いたザカリアは、あまりに唐突な内容に、信じることが出来ません。それで彼は、「何によって、わたしはそれを知ることができるでしょうか」と、天使に尋ね返したのです。
世の常識では、子どもを設けることなど出来ない年齢なので、ザカリアは、天使に言葉を裏付ける証拠を求めたのです。
すると天使は、ザカリアの口を封じてしまいました。彼が天使の言葉を信じなかったことで、その口を利けなくしたのです。
私たちも、神に対して「あうでもない、こうでもない」と自分勝手なことを言う事があります。「姿をみれば信じる。奇跡が起きれば信じる」信じるための証拠を求める事はないでしょうか。
そのとき神の恵みは、このザカリヤのように封じられてしまうのです。自分の頭の理解や都合のみで、神の恵みを論じ考えることは、時として、神の計画を妨げることにも成りかねません。
しばしば、神の計画は、私たちの現実の社会での理解を超えることがあります。まずは、じっくりと、心を静め、へらず口を閉じて、神の救いの御業に、思いを集中することから、救い主イエス・キリストを待つ心の備えを始めたいものです。
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