2019年9月1日「十字架の痛みを知る」

投稿日時 2019-09-01 07:09:12 | カテゴリ: 礼拝説教要旨

 本日の聖書 コリントの信徒への手紙第二11章29節

「だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。」

宣教題「十字架の痛みを知る」  牧師 新保雅雄

この手紙は、パウロが自身の開拓伝道によって開設した、ギリシャのコリントにある教会宛てに出した手紙です。パウロが留守の間に、偽使徒がやってきて異なった教えを語りました。救われる為には、主イエスへの信仰だけでなく、律法厳守も必要だというのです。

十字架によって罪から解放され、自由にされた兄姉が、再び奴隷にされようとしているのです。そして彼らは、神に選ばれた我々ユダヤ人こそ、最も偉いという横柄な態度を取りました。

コリント教会の信徒たちは、パウロの言葉よりも偽使徒の教えを信じようとしていました。そして彼らは、パウロを愚か者としたのです。危機感を抱いたパウロは、この手紙に「今度そちらに行ったら、容赦しません」13:3と書きしるし、彼らに注意と警告を呼びかけています。その中で今日の御言葉が語られています。

パウロにとって、コリント教会の兄弟姉妹が弱っていることは、他人事として見過ごすことが出来ません。兄弟姉妹が弱っているなら、自分自身も同じように、弱らざるを得ない。パウロは、コリントの兄弟姉妹を自分自身と同じであるといわれています。

本来の福音から離れて、つまずいている人のことも、パウロにとっては自分自身の痛みであり、決して他人事ではないのです。気が気で無く、何とかしたいと立ち上がりました。

何故なら、過去パウロ自身も同じように福音を迫害していた者だからです。しかし神の憐れみによって、救われた経験者だから放っておくことが出来ないのです。かつて自分が犯した過ちを、再び兄弟姉妹が繰り返すことの無いように、パウロは神の愛を語り続けました。コリントの兄弟の痛みは、パウロ自身にも同じ痛みなのです。






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