本日の聖書 使徒言行録8章20〜22節
「神の賜物を金で手に入れられると思っているからだ。お前はこのことに何のかかわりもなければ、権利もない。お前の心が神の前に正しくないからだ。この悪事を悔い改め、主に祈れ。そのような心の思いでも、赦していただけるかもしれないからだ。」
宣教題「聖霊は神の賜物」 牧師 新保雅雄
異邦人の町サマリアにおけるフィリポの伝道を補う為に、エルサレム教会からペトロとヨハネの二人の使徒が派遣された。そのサマリアに、シモンという魔術師がいた。彼は、使徒達の行う不思議な業を見て、自身もその力を手に入れたいと思った。
魔術とは、超自然的に見える現象を作り出し、その恐れによって、人々を自分に引き寄せる技術である。魔術師は、この技術を使って、金儲けをしていたのである。シモンは使徒達が行う奇跡の力を見て、これを使えば、新たな金儲けになると思い、その力をお金で手に入れたいとペテロに願った。
しかし、ペトロは魔術師シモンに「この金はお前と一緒に滅びてしまうがよい」と一喝する。「神の賜物」は「信仰によって与えられる」ものである。それをお金で買うことは出来ない。ましてや金儲けの道具には出来ない。神の恵みとして頂くものである。
使徒言行録には、魔術師との対決が、今日の聖書箇所の他に3ヶ所出てくる。1、キプロスの魔術師エリマ(13:4〜)、2、フィリピの占いの霊に取りつかれた女(16:16)、3、エフェソのユダヤ人祈祷師(19:11)。魔術や占いはローマ時代には数多くあった。
現代の日本社会でも霊感や魔術的なものに心を引かれやすい。魔術や占いは、人間中心、現世利益中心の社会と結びつきやすい。一時期、霊能者と言われる輩が流行し、ひと財産を残した。記憶に浅い.
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