本日の聖書 ルカによる福音書13章10〜12節
「安息日に、イエスはある会堂で教えておられた。そこに、十八年間も病の霊に取りつかれている女がいた。腰が曲がったまま、どうしても伸ばすことができなかった。イエスはその女を見て呼び寄せ、「婦人よ、病気は治った」と言って、その上に手を置かれた。女は、たちどころに腰がまっすぐになり、神を賛美した。」
宣教題「解放」 牧師 新保雅雄
ユダヤ教の安息日の教会です。この教会には、18年間腰が曲がっる病気に苦しんでいる婦人がいました。主イエスは、この婦人を呼び寄せ「婦人よ、病気は治った」と言われ、その腰に手を置かれると、曲がった腰がまっすぐに伸びたのです。婦人は大喜びし神を讃美しました。18年間という長い苦しみから解放された瞬間です。
しかし、それを見ていた会堂長は、安息日に婦人を癒したことに腹を立て「働くべき日は六日ある。その間に来て治してもらうがよい。安息日はいけない。」と言ったのです。
会堂長にとっては、人が癒され、苦しみから解放されることよりも、安息日が守られることの方が、重要だったのです。礼拝(安息日)を守る事や律法を守る義務感の方が、癒しより優先したからです。
18年間病に苦しんだ婦人。教会に来れば、この苦しみから解放されるかもしれない。そう信じて礼拝に来ているのです。私たちも、この会堂長のようになってはいないでしょうか。
義務感で礼拝を守っても、奉仕をしても、良い行いをしても、そこに本当の喜びの讃美は生まれません。18年間苦しんだ女性が、思わず神を讃美した思いや喜びを知る事は出来ないでしょう。
今日の教会で覚えることは、主イエスが十字架で死んで三日目に復活された、このことによって、私たちは、罪の鎖から解放され、赦され、救われているのです。罪の束縛から解放するために、十字架の死と復活があるのです。
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