2019年5月19日「人を裁かない」

投稿日時 2019-05-19 06:55:32 | カテゴリ: 礼拝説教要旨

 本日の聖書  ルカによる福音書12章36節

「ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトが、ガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。イエスはお答えになった。『そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。』」

宣教題「人を裁かない」    牧師 新保雅雄

主イエスのもとにやってきた人が「ピラトが、ガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜた」と言うのです。これはエルサレム神殿へ礼拝に来たガリラヤ人を、ポンテオ・ピラトが殺してしまったという意味です。

こうした悲しい事件を聞かされた時の人の反応は、二とおりあります。

一つは、悲しい話を聞いて自分のことのように悲しみ、神の慰めを憐れみを心から祈り、家族を励ます人がいます。

もう一つは、「これは何かのバチが当たったのだ」と考える人、つまり裁く人がいます。因果応報、悪いことが起きるのは、そこに悪い行いや原因があるに違いないと考える人です。

私が若い時に入信していた新興宗教も、悪いことが起きると、その原因を探るんです。信心が足りないから事故に合った、あなたの先祖が犯した罪があなたにたたっている。印鑑が悪い、家の方角が悪い、名前が画数が悪い。そうして高額なお金を払わせる。よく聞く話です。

主イエスは、2節「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」と語られました。

人が善いか悪いかを詮索する人に対して、まず「自分自身を悔い改めなさい」と言われます。誰が罪深いのかを決めるのは神です。 

周りの人と比較して、自分は、あの人よりは真面目だから事故にあわず安全だ、誰々より自分の方が勝っている。などと考えるべきではないということなんです。悔い改めるは自分自身から。






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