2012年3月25日 「神を知るとは自分を知ること」 

投稿日時 2012-03-25 07:23:48 | カテゴリ: 礼拝説教要旨

本日の聖書 ヨハネによる福音書9:38〜39 

彼が「主よ、信じます」と言って、ひざまづくと、イエスは言われた。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」

宣教題 『神を知るとは自分を知ること』  牧師 新保雅雄

生まれついての盲人が、主イエスに癒されて目が見えるようになった。そのことを知ったファリサイ派の人が、真意を確かめる為、癒された人に「どうして見えるようになったのか」と尋ねた。彼は、自分が生まれつきの盲人であること、そして癒されたことの一部始終をお証しする

しかしファリサイ派の人々は、信じようとはせず、彼の両親を呼び出し、同じ事を尋ねた。両親は「彼が生まれつきの盲人であることは知っているが、誰が、どうやって息子を癒したのか分かりません。これ以上のことは、直接本人に聞いてください。」と言ってお証ししなかった。両親は、ユダヤ人社会からの締め出しを恐れていたからである。

ファリサイ派の人々は、再度、癒された盲人を尋問した。「神の前で正直に答えなさい。わたしたちは、あの者が、罪ある人間だと知っているのだ」圧力をかける。しかし彼はファリサイ派の圧力に屈しない。前回以上に「あの方が、神のもとから来られたのでなければ、何もおできにならなかったはずです。」と力強くお証しした。

ファリサイ派の人々は「お前は全く罪の中に生まれたのに、我々に教えようというのか」と言い彼を外に追い出した。結果的に彼は、ユダ人社会から罪人として追放されていく。しかし彼は、真実を語ることによって、神が見え、神と出会うのです。

社会の中で、主イエスをお証しする生活をおくる時、社会は、あなたを受け入れないかもしれない。その証しのために不利益をこうむったとしたら、それはイエス・キリストに、より近づいたことになるのです。

あなたにイエス・キリストは言われる。「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。」


 


 






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