2018年8月5日「」信仰と社会」

投稿日時 2018-08-05 05:19:28 | カテゴリ: 礼拝説教要旨

 本日の聖書  ルカによる福音書20章22〜25節

「『ところでわたし達が皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか。適っていないでしょうか。』イエスは彼らのたくらみを見抜いて言われた。『デナリオン銀貨を見せなさい。そこには、だれの肖像と銘があるか。』彼らが『皇帝のものです』と言うと、イエスは言われた。『それならば、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。』」

宣教題「信仰と社会」   牧師 新保雅雄

本来、自分の悪い所を指摘してくれる人は、有り難い存在なのですが、悲しいことに、その大事な人を律法学者や祭司長たちは、素直に受け入れることはできませんでした。

そこで主イエスを何とか陥れ、ローマ皇帝に訴えようと考えたのです。そして彼らは、悪意に満ちた質問を投げ掛けたのでした。

「わたしたちが皇帝に税金を納めるのは、

律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」 

当時のローマ皇帝は、半ば神格化されていましたので、ローマに税金を納めることは、ローマ皇帝を神として崇めることにつながるのです。ユダヤ人は快く思っていませんでした。

もし主イエス様が、ローマ皇帝に税金を納めることは律法に適っていないと公に答えれば、ローマへの反逆罪になるのです。

しかし主イエスは、デナリオン銀貨を取り上げ「そこには、誰の肖像と銘があるか」と問い返しました。彼らが、「皇帝のものです」と答えると、主イエスは、「それならば、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」と答えられました。

信仰は、現実社会から逃避して自分勝手に生きるためのものではありません。むしろ、与えられた信仰による人生を、人や社会のために用いる時に、地の塩、世の光としての信仰の実りがあるのです。  

信仰とは、あのオームのように現実社会から逃避するためのものではなく、愛をもって支えあう豊かな社会にする力になるのです。






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