本日の聖書 ヨハネによる福音書7章37〜39節
「イエスは立ち上がって大声で言われた。『渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる』イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている”霊”について言われたのである」
宣教題「渇いている者私のもとに来なさい」 牧師 新保雅雄
ヨハネによる福音書は、聖霊について、それを象徴的に「水」にたとえている。水は生き物にとって必要不可欠なものです。水はすべての細胞の中にあり、生命の機能を維持するために必要です。
どんな生き物であろうと水が断たれたとき、渇きを覚え、水分の補給を必要とします。このような体の渇きは私たちも経験したことのあるものですが、同時に、この渇きは、人間の心、人格、魂においてもしばしば起こると聖書は語られます。
私たちの霊的な渇きは、何を注ぐことで癒されるのか。それはイエス・キリストにしか満たすことのできないものです。しかし、これを満たそうと人間は、様々なものに、その解決を求めます。
このような霊的な渇きを癒すために、私たちは偶像を拝み、また自分の欲求のままに振舞います。そして失敗し、前以上に深い渇きに陥ります。そしてまた罪を重ねていくことがあります。
それは悲しいことでありますが世の人々は、その渇きを癒すためにありとあらゆる他の代用物を求めることで、渇きを癒そうと必死なんです。知らないということは悲しいことです。
今朝、キリストにある生涯こそが唯一つの満ち足りた生涯であることを知り、主こそ私たちの真の食べ物、飲み物であり、日々私たちに命を与え、力を与えて下さることに感謝したい。
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