| 本日の聖書   マタイによる福音書5章34.37節
 「わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。
 
 あなたがたは、「然り、然り」「否、否」と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである」
 
 宣教題「ありのままに」  牧師 新保雅雄
 
 主イエスは、律法に関する教えの4番目として「誓うこと」を取り上げられました。
 
 私たちは、祈りの中で神に向かって「私と共にいて下さい、強めてください」と願います。憐れみ深い神は、この祈りに応えて、私たちと共にいてくださいます。弱さを覚える時、孤独な時、迷う時、悲しむ時、確かに神は、私たちと共にいてくださるのです。
 
 そればかりではなく、私たちが、傲慢な時にも、人の悪口、陰口を言っている時にも、誘惑に負けて肉に支配されている時にも、神は、私たちと共におられるのです。
 
 私たち自身が気が付かない時にも、神は、私たちと共におられるのです。
 
 人は弱い者です。すぐ誘惑に負けます。自分を繕おうとします。ですから神との約束を絶対とか、そして誓うことなど、出来ないのです。人の目を気にして格好付ける必要はないのです。神は、私たちの、ありのままの姿を、ご存知です。時に神を忘れ、背き、罪を繰り返すことも、ご存知なのです。ですから素直に弱い自分を、ぶつければいいのです。
 
 しかも、神は、全てをご存知の上で、私たちに厳しい裁きを下すことなく、私たちを憐れみ、御子の十字架で赦し救ってくださいました。すなわち、私たちが犯した罪の代償を、私たち自身に求めるのでなく、御子イエスの十字架による犠牲によって、私たちの罪を赦してくださったのです。ここに、神の愛があります。
 
 神に愛されるために、私たちは、見栄を張る必要も、格好を付ける必要もありません。今の「ありのまま」の私たちを、神が愛してくださっているからです。たとえ、自分の目には、情けなく見えたり、格好悪く見えたとしても、神にとって私たちは、大切な愛する、尊い存在なのです。
 
 
 
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