本日の聖書 マタイによる福音書27章39,40節
そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い」
宣教題「十字架に向かい合う」 牧師 新保雅雄
主イエスは、ろばに乗ってエルサレムに入られました。十字架に付けられる5日前のことです。その時、人々は、「なつめやし」を切って道に敷き(21章8節)、主イエスをメシア、キリストとして、たたえ喜んで迎え入れたのです。
ところが、数日の間に状況は一変してしまいます。ユダヤ教指導者、祭司長たちのたくらみによって、主イエスは、神を冒涜したとして、十字架に付けられることになったのです。
通りがかりの人々も、祭司長たちも、さらに一緒に十字架に付けられた強盗たちさえも、寄ってたかって、主イエスを小馬鹿にし、「神の子なら自分を救ってみろ」と挑発したのです。あの荒野での悪魔の誘惑の時の悪魔の言葉を思い出します。
主イエスの十字架は、全ての人の罪を露わにしました。その罪は、主イエスの身に全てを負わせることになりました。そして、主イエスは、十字架での死を迎えられました。それは、全ての人の罪を身に負った身代わりとしての犠牲の死でした。
人は、自分の罪を明らかにされ、自ら、その罪と向かい合い、これを認めること無しには、救いに至ることは出来ません。主イエスの十字架を自分の罪の結果だと悔い改め、受け入れるならば、私たちは罪を清められ、赦され、救われるのです。十字架に大胆に近づく者には、主イエスを通して、神の救いが与えられるのです。
|