2017年7月16日「身代わりになられた主」

投稿日時 2017-07-16 08:06:22 | カテゴリ: 礼拝説教要旨

本日の聖書    マタイによる福音書27章21節

「そこで、総督が、「二人のうち、どちらを釈放してほしいのか」と言うと、人々は、「バラバを」と言った。」

宣教題「身代わりになられた主」  牧師 新保雅雄

  主イエスは、夜中に捕らえられ、大祭司カイアファの屋敷でユダヤ側の裁判を受け、夜明けになると、祭司長たちによって、総督ピラトの前に連れて来られました。祭司長たちは、神を冒涜したという理由で、主イエスを死刑にしようと決めていました。

  当時のユダヤはローマ帝国の支配下にありましたので、実際に死刑を執行する権限は、ローマ帝国から派遣されていた総督が持っていました。そこで祭司長たちは、総督ピラトに訴え出たのです。

  ピラトは、人々が主イエスを自分に引き渡したのが、ねたみのためであると知っていました(18節)そこでピラトは、祭りの時に、民衆の希望する囚人に恩赦を与えて、釈放する慣習を利用して、主イエスを釈放しようと考えたのです。

  悪名高き囚人バラバ・イエスと、主イエスのどちらを釈放して欲しいのかと、群集に尋ねたのです。通常であれば、誰が考えても、罪の無い主イエスが釈放されることを選ぶ筈です。そうすれば、人々の願い通りに主イエスを釈放したのだとユダヤ側に言えるのです。

  しかし、扇動された群衆は、バラバの代わりに主イエスが十字架に付けられることを願ったのです。このことによって、主イエスの十字架の意味が明らかになったのです。正しい方である主イエスが、罪ある者、死刑にされても致し方ない者の身代わりとして、十字架に付けられたことを現すのです。

  罪ある私たちを救うために、十字架で犠牲となってくださったのです。ここに、神の愛があります。人を罪から救い出すためには、ご自分の大切な独り子である主イエスを犠牲にすることも厭わない、大きな神の愛があるのです。






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