本日の聖書 マタイによる福音書15章26〜27節
イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」
宣教題「神のご計画」 牧師 新保雅雄
主イエスは、異邦人の地、ティルスとシドンへ行かれた。そこに突然女性が現われ、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください、娘が悪霊にひどく苦しめられています!」と娘の癒しを願った。
しかし、主イエスは、「わたしはイスラエルの家の失われた羊の所にしか遣わされていない」「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」と言われ願いを断りました。子供とはイスラエル人であり、小犬とは異邦人のことです。
つまり主イエスは、神の選ばれた民、イスラエル人の救いのために遣わされている。あなたがた異邦人のためではない。というのです。
私たちは「こんなに一生懸命祈っているのだから、こんなに困っているのだから。神様は弱い者の神である。だから私の願いを聞いてくれて当然だ」と思っていないでしょうか。そして願いが聞かれない時「何も応えられない」と言う。私達の願いは、「自己中心」になってしまっているのではないでしょうか。
そこには、「神様の、お考えは、ご計画はどうなのか。なぜここ異邦人の地、ティルスとシドンへ来られたのか?」 そのように神のお考え、ご計画を第一にするということが、なくなってしまっている。私の願い事を第一にしている。そこに御言葉のヒントがある。
女性は言う、「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。あなたのご計画があるのは、分かっています。それを第一になさってください。しかし、あなたのご計画を変えなくとも、娘を助けることがおできになると信じます。まさに、小犬が、主人の子供の食卓から落ちるパンくずでも生きるように」その時、娘の病気はいやされたのです。神が救い主であり救いの計画は、神のお考えである。私達はそのしもべなのです。
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