2016年10月16日「主イエスの家族」

投稿日時 2016-10-16 07:17:34 | カテゴリ: 礼拝説教要旨

本日の聖書 マタイによる福音書12章48〜50節

「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか。」 そして、弟子たちの方を指して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。 だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」

  宣教題「主イエスの家族」  牧師 新保雅雄

  弟子達は、主イエスの母マリアと兄弟たちが、会いに来ていると主イエスに告げました。すると主イエスは、「わたしの母とは誰か。わたしの兄弟とは誰か」と言われ、弟子たちのほうを指して言われました。「見なさい、ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる」

  最近の新興宗教の中にもある対応ですが、主イエスは、なぜこのようなことを言われたのでしょうか? たいへん冷たい言葉に聞こえてしまいます。これは主イエスの家族、肉親に向けて語られた言葉ではなく、弟子たちに向かって語られた言葉なのです。そこから見ていくと、この言葉の意味が分かってきます。

  ここにいる弟子たちは、主イエスにとって肉親と同じく大切であり、かけがえのない存在なのだ、ということになるのです。

  血のつながりも何もない、それぞれ異なる人生を歩み、お互いなんのつながりもなかった人々が、主イエスのもとに一つに集められている。この弟子たちを指して、主イエスは、あなたがたは「わたしの母、わたしの兄弟」わたしの家族だというのです。

  「だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母なのである」それでは父の御心を行う人とは、何か立派な行いをした人なのでしょうか? 

  主イエスの弟子たちは、社会的に決して立派な人たちでもなかったし、優秀な学歴や高明な人でもなかった。ただ主イエスに従い、主イエスの語る御国の話に耳を傾けている。彼らの行いとは、ただそれだけのことなのです。それが父なる神様の御心なのです。信仰は聞くことから始まる。そして主イエスとの家族の始まりなのです。






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