2016年3月13日「良い実は良い木から」

投稿日時 2016-03-13 07:17:17 | カテゴリ: 礼拝説教要旨

本日の聖書 マタイによる福音書7章18節

「良い木が悪い実を結びことはなく、

また、悪い木が良い実を結ぶこともできない」

宣教題「良い実は良い木から」  牧師 新保雅雄

主イエスは言われます。「茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。」確かに、茨からぶどうは採れず、あざみからいちじくも採れません。ぶどうは、ぶどうの木から、いちじくは、いちじくの木からしか採れないのです。

このことから明らかなように、例外なく、「良い木が悪い実を結びことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない」のです。

植物だけでなく、私たち人も腐り、悪い木になると、そこにできる実は、はっきりと、その木の状態を映し出すのです。木の実は、ぶどうであっても、いちじくであっても、梨やりんごであっても、究極的には、おいしいか、まずいかです。たとえ、形がどんなに素晴らしく美しくても、食べて、渋かったり、苦ったり、腐りかけていては、とても、食べられるものでは、ありません。すぐに、吐き出されてしまうのです。

私たち人という木も、実の姿かたち見栄えではなく、その実が持っている味が問われます。果たして、私たちという木が結ぶ実は、どんな味がするのでしょうか。優しさと配慮、正しさに満ちているでしょうか。悪意と敵意、自己中心に満ちているのでしょうか。

聖書の言葉を慕い求めるならば、尽きない恵みが、そこから溢れ出し、私たちの霊と肉とを養うのです。

確かに、信仰は、心の中で決断するものです。しかし、心の問題で終わる訳ではありません。その実が問われるのです。どう歩んでいるのか、日々の生活が問われるのです。あなたの人生があなたの実の味を現しています。あなたの人生は、いかがでしょうかか。






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