2016年1月24日「神の目、人の目」

投稿日時 2016-01-24 07:29:00 | カテゴリ: 礼拝説教要旨

本日の聖書 マタイによる福音書6章1節

「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。」

宣教題「神の目、人の目」   牧師 新保雅雄

「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。」主イエスは「善い行い」をすることについて、このように言われました。

「善い行い」と言うと、人に親切にするとか、世の中のためになることを行う、ということが思い浮かぶかも知れません。あるいはボランティア活動をすること、人助けだと考えます。

確かに、こうしたことも、「善い行い」だと言えるでしょう。ただ、主イエスの時代のユダヤでは、善行と言えば、「施しと祈りと断食」のことを意味しました。 つまり、善行とは、神を信じる人が、その信仰に基づいて実行すべきこと、信仰の実践を意味したのです。信仰を目で見える形で現すこと、これが善い行い「善行」なのです。

こうした善行は、自分の信仰を人の前で証明する機会なのです。ですから、自分はこんな立派な信仰を持っていると、人に主張し見せること、人目を気にしながら、善い行いを行うということが起こったのです。せっかくの善い行いが自分を誇る為に使われてしまうのです。

そこで、主イエスは、見てもらおうとして、人の前で善行をしないようにと言われたのでした。善い行いは、人に向けてではなく、神に向けて、行われるべきものである。つまり見える人ではなく、見えない神にと言われています。人は誰でも善い人に見られたい願望があります。

本日は、三つの善行の中の「施し」についてです。偽善者たちは、人からほめられることを望んで、会堂や街角で施しをするのです。 偽善者は、本来、目を向けるべき、施しを必要としている、貧しい人から離れ、回りの人の目に向けられます。そこには、「隣人を愛する」姿は、ありません。施しという行為は、本来、隣人愛から生じる優しい愛の行為である筈です。残念ながら、人は、外面で人を判断します。しかし神は、その人の見えない心の中の思いで判断します。






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