2015年2月8日「神のもとへ」」

投稿日時 2015-02-08 08:04:35 | カテゴリ: 礼拝説教要旨

本日の聖書  ルカによる福音書2章41〜49節

「両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。イエスが道連れに中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。三日の後、イエスが神殿の境内で学者達の真ん中に座り、話を聞いたり質問をしたりしておられるのを見つけた。両親はイエスを見て驚き、母が言った。『なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。』するとイエスは言われた。『どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。』」

宣教題  「神のもとへ」   宣教 新保 雅雄牧師

主イエスが12歳になった時のことです。両親であるヨセフとマリアは、主イエスと共に、過越祭にエルサレム神殿詣でをしました。今で言えば初詣のようなものかもしれません。

過越祭には、イスラエルや外国にいるユダヤ人までもがエルサレムにやって来ます。エルサレムは、人でごった返していました。そして過越祭が終わり、ヨセフ家族は故郷ナザレへ帰って行きました。

両親は、途中で息子イエスがいないことに気づき必死で探しました。しかしどこにも見つかりません。そして来た道を戻りエルサレム神殿の中で主イエスを見つけたのです。主イエスは一人エルサレム神殿に残っていました。

これは主イエスが神と人とを結びなおすことを意味しています。神を求めるとは、主イエスを求めていくことであり、主イエスは神と人との関係を、元に結びなおすために来られたのです。






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