2014年12月21日「喜びのクリスマス」

投稿日時 2014-12-21 07:43:27 | カテゴリ: 礼拝説教要旨

本日の聖書 マタイによる福音書2章1〜12節

「彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」(マタイ2:9〜11)

宣教題  「喜びのクリスマス」   北村 紀一

メリークリスマス!世界中でクリスマス礼拝がささげられています。民族も言語も文化も違うけど、すべての人々の目指すところはこの飼い葉桶に寝ておられるイエス様なのです。

ユダヤの民にとっては待ちわびていた救い主です。ところがユダヤ人ではない東方の学者がお祝いにかけつけると、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。(マタイ2:3)なぜ、よき知らせなのに不安を抱いたのでしょうか。

ヘロデ王は、権力欲が強い王でした。王さまの役割は、国と国民が幸せになるために働くことですが、ヘロデ王は自分の権力維持のためであれば子どもだろうが関係なく殺害してきた王です。ですから、「ユダヤ人の王として新しく生まれた者がいる」という知らせは大変脅威であり不安の要因だったのです。

また誰でも古くからの繋がりは安心できます。ところが、安心できる繋がりというのは新しく入ってくる者を異質な者と見て排他的になることもあるのです。エルサレムの人も同様に不安を抱いたというのはそういった傾向が強かったからです。

心を神様に向けないで、妬みや、自分の安住の場所だけを求めて、いつもと違うことを排除しようとしているときは見えないのです。そのため、イエス様は居場所がなく、寂しいところでお生まれになりました。こうして誰もが不思議に思う気付きにくいところに光が差し込まれたのです。

ところが異邦人である東方の学者たちは神様の示す星に導かれて、そしてついに、その星が指し示す場所にたどり着いたのです。そして喜びにあふれました。

真の王である方を捜し出し、そのお方の前に出て、ひれ伏して礼拝すること、これがクリスマスであり、私たちの人生の目的です。

神さまが私たちに、このまことの救い主イエス様をプレゼントしてくださいました。この御方こそ私たちを本当に正しく導く王の中の王です。いつも神さまが一緒におられる人生(インマヌエル)のプレゼントです。メリークリスマス!あなたの上に祝福が豊かにありますように。


 






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