本日の聖書 テトスへの手紙2章11〜14節
「実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。キリストがわたしたちのためにご自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民をご自分のものとして清めるためだったのです。」
宣教題 『人生の価値』 牧師 新保雅雄
人生の意味とは何でしょうか? 人生とは、人が生きると書きます。 あなたにとって生きる意味とは何でしょうか?
もしも人生が利益だけの追求であれば、なりふり構わず貪欲に人を蹴落としてでも金儲けに励む人が、最も賞賛されるでしょう。
また人生が、肉体の快楽を追求する為であるなら、麻薬や賭け事、酒に身を任せてしまえば、肉体は満たされるでしょう。
しかし、わたし達は決してそうはしないんです。なぜなら人生とは、もっと他の価値あるものがあるということを知っているからなんです。知ってはいるが、肉体の誘惑は、戦いを挑んでくるんです。
私の友人に麻薬やギャンブル、酒の中毒患者がいます。彼らは、こんなことで人生を終わらせたくない、と心では思っています。でも肉体が求めてしまう。正にパウロが言う「世の奴隷」の姿です。
自分の力ではどうしょうも出来ない。神はそのためにイエス・キリストの命をわたし達に下さいました。神の目には、人は命がけで救う価値ある者だからです。「私の目にあなたは価高く、尊く、わたしはあなたを愛し、あなたの身代わりとして人を与える。」イザヤ43:4
この世に生きている。しかし、神はご自分の民としてわたし達を扱われるのです。「わたしの本国は、天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。」(フィリピ3:20)「世の奴隷」からあなたを救い出すために十字架があることを知るなら、その恵みに感謝して人生を送りたい。
|