2014年10月26日「私たちも招かれている」

投稿日時 2014-10-26 05:32:34 | カテゴリ: 礼拝説教要旨

本日の聖書  マタイによる福音書26章21〜23節

「一同が食事をしているとき、イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」 弟子たちは非常に心を痛めて、「主よ、まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。イエスはお答えになった。「わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る。

宣教題「私たちも招かれている」    牧師 新保雅雄

主イエスは言われた、「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人が、わたしを裏切ろうとしている。」

この「あなた方」とは、誰であろう今主イエスといっしょに過越の食事をとっている12弟子のことです。つまり12弟子のうちの一人が、主イエスを裏切るというのです。

12弟子とは主イエスに選ばれ、家族や仕事を捨て従って来たものたちの集まりです。その12弟子に、「生まれない方がよかった」とも言われたのです。12弟子は「心を痛めて」「まさか私ではないでしょうね」と言ったのです。彼らは、否定はしませんでした。どこかに信じきれない自分がいたのでしょうか。人は弱いのです。

裏切りのユダも、この最後の晩餐の食卓に招かれているのです。そして主イエスと同じ鉢に食べ物を浸して食べているのです。12弟子の一人であるユダは、自分を招き愛してくださった主イエスを、銀貨30枚でユダヤ当局へ売り渡します。大罪を犯します。

しかしこのユダさえも、今、最後の晩餐の食卓に招かれているのです。もしユダが、この食卓から締め出されているとしたら、罪人は、主イエスの晩餐に招かれない、とうことになります。つまり罪人は救われない、ということになってしまうのです。

最悪の罪人、裏切り者ユダが、この最後の晩餐の食卓に招かれ、加えられているのを見る時、そして100%裏切らないと言い切れない12弟子、神の国に入れていただく値打ちのない、神に愛される資格が何もない、この信仰の弱い私たちでさえも、神の国の食卓に招かれていることを思うのです。ここに神の愛があります。






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