2014年10月19日「愛の行方」

投稿日時 2014-10-19 07:29:23 | カテゴリ: 礼拝説教要旨

本日の聖書  マタイによる福音書26章7〜10節

「一人の女が、極めて高価な香油の入った石膏の壺を持って近寄り、食事の席に着いておられるイエスの頭に香油を注ぎかけた。 弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。「なぜ、こんな無駄遣いをするのか。高く売って、貧しい人々に施すことができたのに。」イエスはこれを知って言われた。「なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。」

宣教題 「愛の行方」     牧師 新保雅雄

イスラエルの宗教指導者である祭司長や長老は、神の御子である主イエスを殺そうと相談する。一方では、すべてを捨てて主イエスに従ってきた弟子の一人が、主イエスを銀貨三十枚で裏切ろうとする様々な人間の欲望が渦巻く世界。その中を主イエスはまっすぐに十字架へと向かって進んで行かれる。まさに、愛はどこにあるのか、と叫ばざるを得ない。

そんなどろどろした欲望の世界の中に、美しい出来事が記されている。一人の女が、「きわめて高価な香油の入った壺」を持ってきて、主イエスの頭に香油を注いだのだ。

主イエスが、もうじき十字架に付けられる、と聞いた。十字架にかかるのを、止めることは自分にはできない。そんな力もない。ただ自分に出来ることは、大切にしていた高価な香油、これを主イエスに差し上げることだった。

その油は流れ落ちてしまって、なくなって、何の意味もないかもしれない。それを見ていた弟子は貧しい人に施したほうがましだ。と話している。しかし主イエスは、彼女のしたことを、「わたしに良いことをしてくれた」と言われたのです。

「キリスト」という言葉の意味は「油を注がれた人」という意味である。彼女のしたことは、小さなことですが、しかしそれが、主イエスをキリスト、救い主にしたのです。

私たちも信仰を貫くとき、時としてこんなことをして、何の意味があるのだろうか、と思える時がある。しかし主イエスは「よいことをしてくれた」と言われるのです。

 






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