本日の聖書 マタイによる福音書22章43、45節
「あなたたちはメシアのことをどう思うか。だれの子だろうか。」彼らが、「ダビデの子です」と言うと、「このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのであれば、どうしてメシアがダビデの子なのか。」
宣教題 「物質からの解放、救い」 牧師 新保雅雄
主イエスの問いかけに、ファリサイ派の人々は、メシア(キリスト)とは「ダビデの子」であると答えました。ダビデの子孫からメシアである王が誕生するというのです。
たしかに、ダビデの子孫から神の救いが実現されるというのは、旧約聖書の約束です。しかし彼らは、「救い」とは、この地上での生活の救いであると考えていました。
つまり、今はローマ帝国の支配を受けているが、やがてメシアが現れて、独立のために戦争を起こして、ふたたびダビデの時代のような強大なイスラエル王国となり、栄華を極めていくのであるということが、救いであると考えていたのです。
政治が変われば、総理大臣が変われば、王様が変われば、社会が変われば、幸福になれる。本当に、それによって人は幸福になれるのでしょうか。社会の変化、そのことによって、「救い」ということが起きるのでしょうか。
世界には今日の食事さえできない人がたくさんいます。しかし日本は、不景気であるとはいえ、欲しいものは24時間、手に入ります。飢えや渇きで死んでいく人はいません。ものが豊かになり、医療も進歩して世界一の長寿国になりました。物質的に満たされる、だから「救われている」ということが言えるのでしょうか?
いくらものが豊かになっても、人間の不平や不満は無くなることがありません。むしろストレスを抱え精神を病む人、自殺する人が増加しています。主イエスは言われます。「あなたたちはメシアのことをどう思うか。」 あなたの救いとは何でしょうか?
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