本日の聖書 マタイによる福音書21章21〜22節
イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。あなたがたも信仰を持ち、疑わないならば、いちじくの木に起こったようなことができるばかりでなく、この山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言っても、そのとおりになる。信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる。」
宣教題 「疑わない信仰」 牧師 新保雅雄
主イエスは言われた。「信仰を持ち、疑わないならば、いちじくの木に起こったようなことができるばかりでなく、この山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言っても、そのとおりになる。」
「信仰」とは、父なる神に対しての信仰です。そして神の一人子、キリスト・イエスを信頼する信仰です。「動かないように見える山、しかし主イエスなら動かしてくださる」と信じる、主イエスを信頼する、ということです。 私たちが念じて動かすのではありません。「主イエスが動かしてくださる」と、信じることなのです。
自分の思うとおりになる、ということとは全く違います。私達は癒しや、山が動くことをお願いして主に祈ります。しかしその祈りを受け取って、どうなさるのかは主イエスがなされることです。
私たちの思いを超えて、主が最善をなしてくださることを信じるのです。時には私たちが願ったのとは違う結果になるかもしれない。しかしそれは、主が最善のために、そのようにされたのです。
私たちが主イエスを通して祈る。しかしそれが叶わないなら、それは私には必要のないことなのかもしれません。
それが「疑わない信仰」です。弟子たちは、主イエスが十字架にかかるということを信じたくなかった。人の思いから見ると、それは最悪の事であり、受け入れられないことなのです。
しかしその十字架こそが、弟子たちを、そして私たちを救う最も尊い神のご計画なのです。主が最善をなしてくださることを信じ、主を信頼して祈る。それが信仰です。
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