2014年2月23日 「自らを十字架という祭壇に」

投稿日時 2014-02-23 07:00:26 | カテゴリ: 礼拝説教要旨

本日の聖書 マタイによる福音書21章12,13節

それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒された。そして言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしている。」

宣教題  「自らを十字架という祭壇に」   牧師 新保雅雄

「そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒された。」主イエスは、なぜこのようなことをされたのでしょうか?

それは、神殿が、利益を追求するための商売の場所になっていたからです。神殿で使用するための貨幣に高額な手数料を乗せて両替する、藩祭に捧げられた鳩を藩祭にせず業者に買い取らせる。

神殿は神さまを礼拝する場所です。人々が神さまを礼拝しに来る。その人々を待ちかまえて商売をする。礼拝が、その目的から離れていく。このことを主イエスは、お許しにならなかったのです。

それでは礼拝とは、何でしょうか。「礼拝とは神を拝むこと」です

私達はともすると、教会に行くということが、なにか礼拝をしに行くということよりも、そのほかのことが目的で通うようになっていたりすることがあります。

日曜日を主の日として守り、私達が生きるために、欠かすことができないものとして礼拝を考えているだろうか。そこに行けば「神に必ずお会いできる」、として真剣に礼拝をとらえていただろうか。

主イエスは、神にお会いし、神を拝む場であるところで、まさにその神を拝むということを邪魔していた、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒されました。そうして、人々が神を拝み、神にお会いできるようにされるのです。

この後、主イエスは、自らの体を十字架という祭壇におささげになり、いけにえの小羊となられるのです。






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