本日の聖書 マタイによる福音書21章1〜4節
一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山沿いのベトファゲに来たとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。それをほどいて、わたしのところに引いて来なさい。もし、だれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐ渡してくれる。」それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
宣教題 「あなたのキリストとは」 牧師 新保雅雄
なぜ神は、預言者を通して子ろばを指定したのか?
もし、ローマ帝国の皇帝や将軍のように馬に乗って入城したとしたらどうだろうか、馬は大きいので上の方から人々を見下ろす目線、姿になる。世の権力者、皇帝、王は、皆胸を張り更に高いところから人々を見下ろす。しかし、子ろばに乗ると、人々と同じような高さにしかならない。同じ目線でゆっくりよろよろ歩くのです。
万物の造り主である神、その一人子であり、真の王の王であるお方。そのお方が、完全に人の子としてこの世に来られた。ベツレヘムの馬小屋の飼い葉桶の中に生まれ、そして今、王座につくために王の都エルサレムへと入られる。
その時の乗り物は、はなばなしい馬ではなく、生活の中で雑用に使われるロバであった。このことが、このあとの十字架の意味を現している。
この時人々は、「ダビデの子にホサナ」「万歳」と叫んで、大歓迎しました。人々はなぜ、このように主イエスを歓迎したのでしょうか。
そして、数日のうちに人々はなぜ、主イエスを「十字架につけろ」と言って軽蔑する群衆へと、変わっていったのでしょうか。
それは、人々が期待したダビデに象徴されるような、強いイスラエル王としてのキリストの姿と、実際のキリスト・イエスの姿が、あまりにも違っていたからです。人々は、救い主キリストのイメージを勝手に思い描いていたのです。
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