本日の聖書 マタイによる福音書20章31〜34節
群衆は叱りつけて黙らせようとしたが、二人はますます、「主よ、ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」と叫んだ。イエスは立ち止まり、二人を呼んで、「何をしてほしいのか」と言われた。二人は、「主よ、目を開けていただきたいのです」と言った。イエスが深く憐れんで、その目に触れられると、盲人たちはすぐ見えるようになり、イエスに従った。
宣教題 「何をしてほしいのか」 牧師 新保雅雄
道ばたに座っていた二人の盲人が、突然叫び声を挙げました。「主よ、ダビデの子よ、わたしたちをあわれんでください!」二人の盲人は、今、目の前を主イエスが通りかかろうとしているのを知った。
この時を逃してはならない、絶対に主イエスに会いたい、弟子たちが制止しようが、「なんとしてでも主イエスにお会いしたい」必死に神を求める思いがわき上がり、それが叫び声となったのです。
主イエスは立ち止まり、彼らに言われた。「何をしてほしいのか」彼らは叫んだ「主よ、目を開けていただきたいのです!」二人は金品を欲したのではない。神でなければ出来ないことを求めました。
彼らは、目が見えないことによって、どんなに苦労を重ねてきたことでしょうか。目が見えない為に、毎日道ばたに座って、通りすがりの人に物乞いをして、生きて行かなければならなかった。人からの憐れみは今日を生きる生活費です。しかし神の憐れみは、御国へ続く生きる命、明日への希望です。
主イエスは、彼らを深く憐れみました。そして二人の目に触れられた。すると二人は、目が見えるようになりました。主イエスが、二人の病、重荷を代わりに負ってくださったのです。
主イエスは、いつも私たちの心の扉をたたいておられます。しかし気がつかないのです。私たちはあまりにも、この世のことに、とらわれてしまっているからです。教会で心落ち着かせて、神の御声を聞いて見て下さい。兄姉に平安がありますように、お祈り致します。
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