2014年1月12日「いつも仕える心でいなさい」

投稿日時 2014-01-12 07:09:51 | カテゴリ: 礼拝説教要旨

本日の聖書 マタイによる福音書20章26〜28節

しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。


宣教題 「いつも仕える心でいなさい」   牧師 新保雅雄

「ゼベダイの息子たちの母が、その二人の息子と一緒にイエスさまのところに来て、ひれ伏して、何かを願おうとした」20節。

ヤコブとヨハネ兄弟の母、そしてヤコブとヨハネ本人、さらには他の弟子たちも、主イエスが高い地位につかれる。キリストとして、ローマ帝国からの解放と独立、そして世界を治めるような支配者になられると信じていることが、この聖句からうかがえます。


そして、自分たちはそういう偉大な主イエスの側近であるのだと思っているのです。つまり、「主イエスが偉い地位、王座に着いたときには、自分たちもそれと並ぶ地位につくことができる。偉い人になれる。あやかれる。」そう思っていたということです。


人は、偉くなりたい、認められたい、人々の上に立ち自分の思い通りに動せる地位につきたい。そういう思いが弟子たちにありました。そして、ヤコブとヨハネの母が、主イエスに息子達のことを頼みました。そのことを知った他の弟子たちは、腹を立てたのです。


そんな弟子たちに主イエスは「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。」 と言われました。


「偉くなりたいのなら、しばらく辛抱して、人々に仕えなさい。修行しなさい。そうすれば偉くなれる。」そういうことではありません。「偉くなりたいと思うなら、偉くなりたいという思いを捨て、一心に仕えなさい。そうすれば神が祝福される」ということです。


つまり偉くなりたいなら「偉くなりたい」という思いを捨てること。それは主イエス自身が歩まれた十字架の死で現されます。


 






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