2013年9月1日「私達の罪の大きさ」

投稿日時 2013-09-01 06:20:17 | カテゴリ: 礼拝説教要旨

本日の聖書 マタイによる福音書16章21〜23節
イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」

宣教題 「私達の罪の大きさ」    牧師 新保雅雄

主イエスは、弟子逹に自身が十字架で殺されることを打ち明けた。弟子達は戸惑う。主イエスが神の子、キリストであるなら、なぜ十字架にかかり殺されなければならないのか? 間近で奇跡を見てきた弟子たちにすれば、捕らえられて十字架につけられてしまうような弱い主イエスを、想像することはできなかったからである。

ですからペトロが主イエスを脇へお連れして、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」と、主イエスをいさめた。これは弟子達にとって、当然のことではないでしょうか。

しかし主イエスは、ペトロに「サタン、引き下がれ!あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」主イエスの、十字架への強い決意を見ることができるのです。

私達は、自身の罪のために死を迎えなければならないだろう。しかし主イエスは、「わたしは身代わりに十字架へ」と言われるのです。

この私達を救うために十字架につかれる主イエス。それなのに「とんでもないことです。そんなことがあってはなりません」と言うことは、私たちの罪は、死を迎えるほどの重いものではない。と思っている。しかし主イエスの死は、主イエスご自身の罪の結果ではなく、私達の罪なのです。

私達の罪は、神の御子キリスト・イエスが、私達の代わりに十字架に死んで下さらなければならないほど、重いものであるということです。それ以外にわたし達が救われる道はないということです。




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